今でも多くの人々に名曲として歌われている「春」は、武島羽衣が作詞、滝廉太郎が作曲を担当している。この歌碑には、羽衣の自筆による「春」の歌詞が3章まで刻まれており、昭和31年11月3日に教え子によって建てらた。石は根府川の自然石が使われている。武島羽衣は、明治5年に日本橋で生まれ、本名は又次郎という。東京帝国大学国文科を卒業し、上田萬年の指導を受け、現在の東京芸術大学音楽部の教授となった。同時に国文学者、歌人、詩人でもあり、同校の助教授だった滝廉太郎が曲をつけ、明治33年に「花」が完成された。
今でも多くの人々に名曲として歌われている「春」は、武島羽衣が作詞、滝廉太郎が作曲を担当している。この歌碑には、羽衣の自筆による「春」の歌詞が3章まで刻まれており、昭和31年11月3日に教え子によって建てらた。石は根府川の自然石が使われている。武島羽衣は、明治5年に日本橋で生まれ、本名は又次郎という。東京帝国大学国文科を卒業し、上田萬年の指導を受け、現在の東京芸術大学音楽部の教授となった。同時に国文学者、歌人、詩人でもあり、同校の助教授だった滝廉太郎が曲をつけ、明治33年に「花」が完成された。
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