隅田川には有名な渡しが幾つもあり、10人の乗客を乗せた船が、両岸を何往復もして橋ができるまで多くの人々に盛んに利用されていた。隅田公園の中に竹屋の渡し跡碑がある。竹町の渡し、または花川戸の渡し、業平らの渡しなどと呼ばれていた。女主人が対岸の船を呼ぶ掛け声の、「竹ヤー」は山谷掘の船宿竹屋からとったもので、その声の美しさは有名だったとか。
隅田川の船遊び
江戸の夏はことにしのぎにくいといわれ、庶民にとって手軽に涼をとる方法といえば、もっぱら縁台にウチワであったが、一寸お金を出せば「隅田川で川遊び」という消夏法もあった。といっても、ただ船に乗って川を渡る程度から、美女をはべらせて三味線入りという贅沢なものもまでピンキリ。船はやや大型で屋根つき、周囲が戸や障子で閉められる水上料亭「屋形船」、それよりやや小型で簡素化された「屋根船」、二挺の櫓が猪の牙のように見える「猪牙船」(ちょうきぶね)などがあり、墨田川べりの柳橋や両国付近には船宿や料理屋が多く、この辺りを基地に川へ出たらしい。