道引長太郎地蔵尊とは、50年前につけられたもので、道引きとは引導に通じ、地蔵尊を信仰すれば機縁に恵まれ、長太郎地蔵尊は元禄時代から存在し、浅草旧日並記の記述に「馬場尻地蔵」と記されていることから、馬場の世話役男衆の死を弔うために立てられたのではという。もしくは、「犬公方」で知られる五大将軍網吉が、「生類憐令」を出した矢先に、忠運僧正は部下の長太郎に命じて、狂犬を集めて隅田川に流してしまい、忠運僧正は即座に身を隠したが、長太郎は自殺したものと思い、自らも自殺してしまい、それを弔うためという2つの説がある。