浅草寺の総門-「雷も諸国へひびく名所なり」
雷門正しくは「風雷神門」と呼ぶ。天慶5年(942)武蔵守、平公雅(たいらのきんまさ)によって創建され当初は駒形堂付近にあったが、鎌倉期以後、今の場所に移された。門の右に風神様、左に雷神様が祀られているがいつしか、雷門と呼ばれるようになった。江戸時代の川柳に「門の名でみりゃ風神は居候」「風の神雷門に居候」などと詠まれている。雷門は江戸時代の寛永・明和・慶応に三回焼失し、浮世絵に見る「しん橋」とある提灯は寛永7年(1795)に完成の折り、門の屋根を葺いた屋根屋三左衛門が雷門の中の間表に奉納したものである。中の間裏の提灯は御高盛講中の世話人が奉納、風神・雷神の前に二張奉納したのは、松葉屋半左衛門、その裏に二張奉納したのは歌舞伎役者の中村勘三郎。惜しくも慶応元年(1865)に焼失し、現在の雷門は95年後の昭和35年5月3日再建された。