浅草寺五重塔-仏舎利奉安・霊牌・五輪塔安置
五重塔は浅草寺本堂・雷門・宝蔵門と同じ天慶5年(942)武蔵守、平公雅(たいらのきんまさ)により建てられたと伝えられるが、長久2年(1041)火災によって倒壊し、寛永12年(1635)再建、同19年炎上したという記録が残っている。その後慶安元年(1648)三代将軍徳川家光公により再建され、寛永寺・増上寺・天王寺の塔とともに「江戸四塔」として親しまれ後の明治44年には国宝指定を受けていたが、惜しくも昭和20年3月14日戦災により焼失。江戸の大地震・関東大震災にも強かった五重塔は人災には弱かった。昭和48年11月1日に鉄骨鉄筋コンクリート造りで回廊式”塔院”の上に五重塔を建てる「塔院造り」の方法で再建され、回廊式の塔院には霊牌殿があり百体の聖観音像と信徒の方々が納めた1万2千基の永代供養の位牌が安置されている。五重塔の最上階にはスリランカのイスルムニヤ王立寺院から奉載した「聖仏舎利」を納め、途中階には信徒奉納の「五輪宝塔」が奉安されている。五重塔は昭和20年戦災による焼失までは観音本堂に向かって右側に位置していたが、昭和五重塔は左側に建造され、地上53.32m(塔のみ48.3m)を誇る高さは京都東寺に次いで高い五重塔です。
江戸時代の五重塔跡
江戸四塔(浅草寺・寛永寺・増上寺・天王寺)と言われていた五重塔跡が浅草寺境内に残っています。浅草寺の「塔」の創建は平公雅(たいらのきんまさ)によると言われておりますが、江戸時代の慶安元年(1648)に再建され安藤広重や歌川国芳の浮世絵の画題にも登場する浅草寺五重塔昭和20年の戦災で焼失してしまいました。10センチ程度の石ですが境内に小さくその面影を残しています。
場所:浅草寺東側交番前付近(宝蔵門右)