木母寺は中世の「梅若伝説」ゆかりの寺で開基は古く、天台宗東叡山に属する寺で、貞元年間(976~78)の草創とされています。平安中期、京都北白川に住む吉田少将惟房の子「梅若丸」が陸奥の藤太という人買いにさらわれ、東北に連れて行かれる途中病気になり、隅田川のほとりで「たずね来て とわばこたえよ みやこどり すみだ河原の露と消えぬと」を詠み、十二歳で亡くなりました。居あわせた天台宗の高僧忠円阿闍梨が幼梅若丸のために塚を築き柳の木を植えて供養したといいます。この悲話は謡曲「隅田川」、浄瑠璃「隅田川」、長唄などにうたわれ、戯作や小説にもなって多く人の涙を誘いました。境内には梅若塚をはじめ、浄瑠璃塚や歌曲「隅田川」の碑、高橋泥舟の筆になる落語家三遊亭円朝の建碑「三遊塚」、山岡鉄舟の揮毫等の有名な石碑も多く、広重の浮世絵にも木母寺の裏に隅田川から流れが入り込んでいる、内川の様子が描かれている。「梅若伝説」は対岸の妙亀塚とついをなすお話であります。