「助六にゆかりの雲の紫を弥陀の利剣で鬼は外なり」団洲、の歌を刻む。九世市川団十郎が自作の歌を揮亳したもの「団洲」は団十郎の雅名である。歌碑は明治12年(1879)九世市川団十郎が中心となり、日頃から世話になっていた日本橋の須永彦兵衛(通称棒彦)という人を顕彰して彦兵衛の菩提寺仰願寺(清川1-4-6)に建立したが、大正12年の関東大震災で崩壊し、しばらくは土中に埋没していたが後に発見しこの地に再造立された。
「助六にゆかりの雲の紫を弥陀の利剣で鬼は外なり」団洲、の歌を刻む。九世市川団十郎が自作の歌を揮亳したもの「団洲」は団十郎の雅名である。歌碑は明治12年(1879)九世市川団十郎が中心となり、日頃から世話になっていた日本橋の須永彦兵衛(通称棒彦)という人を顕彰して彦兵衛の菩提寺仰願寺(清川1-4-6)に建立したが、大正12年の関東大震災で崩壊し、しばらくは土中に埋没していたが後に発見しこの地に再造立された。
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