昔、今戸は今之津といわれており、昭和27年7月に隣地にあった白山神社を合祀して、今之津八幡から今戸神社に改名された。かつての境内はとても広く、数多くの樹木が生い茂り、散策にも格好の場所とされていた。しかし、大正の震災と昭和の戦災で一帯が焼失してしまい、以前の美しい姿はどこにもなく、すっかり荒れ果てた地と化してしまった。昭和46年、本殿を復興。社殿前には、文化文政に今戸焼職人達が奉納した狗犬一対があり、境内には浅草名所の七福神の福禄寿が安置されている。毎年6月の第一土曜日には祭例も行われる。
今戸焼(いまどやき)
浅草の今戸周辺でつくられたことから、今戸焼という名がついた。今戸焼は、決して高級な焼物ではいが、江戸庶民の生活に慣れ親しんだ素朴な味のある焼物だ。いつ頃から始められたのかは未明だが、天正年間に下総国千葉氏の家来が今戸などに移り住んで、土器などを焼いたのが始まりという一説が伝えられている。今では、白井靖二郎さんただひとりが焼いているだけにしまったが、招き猫、タヌキ、猿など、江戸庶民の生活が伺える様々な焼物は、懐かしさを感じさせる。狐などは玉姫神社で、願掛けに使われているそうだ。