金龍山浅草寺の御門前で暖簾を上げて七十余年、江戸下町を色濃く残した浅草で天麩羅店として創業以来かわらぬ味を守り、天丼から季節料理・ご宴会料理まで、ご法事・お祝い・忘新年会にご用途、ご予算に応じてご予約承ります。浅草に行き付けの天麩羅屋「葵丸進」はいかがですか。
店舗情報
住所:東京都台東区浅草1-4-4
電話:03-3841-0110
FAX:03-3843-8877
定休日:月曜日 *祝日の場合は翌日
営業時間:11:30〜21:00(LO 20:00)*会席・コース料理ご利用のお客様21:30閉店
クレジットカード:可
各種キャッシュレス決済:可
URL:http://www.aoi-marushin.co.jp/
創業:昭和21年12月
店名由来:終戦で混乱の世の中、平和(丸)に進めるよう「丸進」の名で天麩羅店を開業、昭和34年組織変更の際、創業者が茨城水戸の出身の為、徳川様の末代まで繁栄するようにと葵をつけて葵丸進と商標登録をする。
*店舗情報は予告なく変更になることがあります。各店にご確認ください。
おすすめメニュー
令和7年3月「あおい」 8,000円(税込)*写真はイメージです。
- 食前酒:梅酒
- 先付:青柳、若布、独活、蕗、酢味噌和え、花弁ゆり根
- 前菜:針魚、海老手綱黄味寿司、穴子八幡巻、鯛の子煮凝り、春造魚昆布巻(鰊)、桜長芋甘酢漬け、こごみ生七味和え、蕨、芹、根芋煮浸し
- お椀:甘鯛道明寺桜蒸し、蕨、桜の花
- お造り:本日のお刺身四点、桜大根、花穂、紫芽、海の糸、生山葵、土佐醤油
- 焼物:佐賀牛と筍の木の芽焼き、蝶々芋蜜煮
- 天麩羅:天使の海老、北寄貝、タラの芽、木の芽卸し、塩、レモン、天つゆ
- お食事:桜海老とうるい小かき揚げ丼、赤出汁、千住葱、若布、香の物、柴漬け、大根、青かっぱ
- 水菓子:デコポン、苺ゼリー寄せ、ミント
「春の酒肴」令和7年2月27日〜6月
*税込の料金となっております。
天麩羅という言葉は江戸時代、安永十年正月(1781年)豊竹東治の書いた芝居狂言「昔唄今物語」という浄瑠璃の中に天ぷらの名が出ている。これが最初ではないかと斉藤月岑氏が著書「東都歳時記」で述べています。語源は「蜘蛛の糸巻」という本に江戸時代、天明(1781~1788)の頃、大阪の素封家の次男、利介という男が、女道楽の末、歌奴と江戸表に駆け落ちをし、当時江戸で流行の戯作者「山東京伝」の弟に当たる京山の住居裏店に世帯を持ち京山の家に出入りをしていました。ある日 京伝を訪ね、大阪流に魚に小麦粉をつけて油で揚げた辻売りをしたいと相談をすると、屋台に下げる看板行灯に「天麩羅」と書いて江戸向な名前をつけてくださったそうです。京伝にその名の由来をたずねてみると、笑いながら「お前は天竺浪人でふらりと江戸へ出て売り始めたから天麩羅とつけたのだ、天は天竺浪人の天、ぷらはふらっと出てきたからだが、麩は小麦粉の意で羅は薄物すなわち薄くつけるの意である」と答えた。時に山東京伝 21歳、江戸の流行作家であります。
浅草神社裏手に山東京伝の机塚があり、京伝が愛用した文机がこの下に埋めたと弟の京山がしるしている。文化14年(1817)の建立。 もう一つの説は、伯爵山内万寿氏の随筆「かきのぞ記」にも天麩羅の名があります。年代人物不明ですが、精進料理屋で野菜ばかりではつまらないので、魚を揚げて売り出そうと、書家にたのんで看板を書いてもらいに行ったところ万葉集の中から変体かなの阿婦羅という字句を見つけこれを漢字に直して天麩羅のしたに阿希(あげ)をつけ加え天麩羅阿希(てんぷらあげ)と紙に書いてもらいました。主人はそのまま屋台に下げて商売を始めていましたが、古くなって下の阿希から破れてしまい。そのままにして使用していたのがいつしか天麩羅になった。 第三の説は、江戸時代中期、交易を求めてポルトガルやスベインの人たちが、長崎に来航していましたが、当時の日本では彼らを毛唐人とか紅毛人と言って民家に居住する事を拒み、仕方なく町はずれのお寺に一室を借りて住んでいたようであります。
そのころの日本は豚や牛は四つ足といって忌み嫌っていたので獣肉はありませんでしたので、漁師にたのみ魚を買い粉と卵をつけ胡麻油で揚げて食べておりました。そこへ来た漁師があまりに美味そうでしたので、家に帰って真似をしてみますと、油の香りにつられて近所の人たちが嗅ぎつけそれは何だと聞きましたら毛唐がお寺のことを「テンプロ」と言っていたので「テンプロだろう」と答えたのがいつしか天麩羅になったという説です。「料理名由来考」より
会員紹介
渡邊 憲一(わたなべ けんいち)
昭和36年10月5日浅草に生まれる。高校を卒業後、銀座三笠会館、ステーキレストラン勤務を経て、葵丸進へ入店。平成11年5代目店主を継ぐ。高校卒業後、銀座三笠会館でお世話になり、数年間接客の基本を学び、その後レストランのオープンに誘いを受け調理の仕事に携わる様になります。銀座という立地と好景気に恵まれ大変忙しく厳しい経験をしました。今から思えば毎日が無我夢中で自分の将来の事など冷静に考えている時など無かったように思います。飲食業に携わって8年目にして葵丸進の調理見習いとして浅草に戻り調理・接客をする傍ら、財務建て直しと平成2年全館改修工事を行い平成11年5代目の店主と成りました。大型店舗には厳しい時代ですがお客様にご満足頂ける料理造りと店づくりをしていきます。