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コラム:一般客もこの日は問屋価格!
お坊さんも走ると言われる師走が近づ いてきました。ふと仲見世を見ると、我 らがこ隠居さんも、何やら小走りに駆け ていくではありませんか。ちょっと待っ て、何をそんなに急いでいるんですか?
履物問屋が70軒以上
おう何だい、こちとらこう見えても忙しいんだよ。何がってその 、ちょっと、野蓉用でな。・・・オホン、しかし散々走り回ってるから、この靴もすっかりくたびれちまったな。そうなると「花川戸はきだおれ市」の出番ってわけだ。そこの花川戸公園一帯で12月中旬にやるやつね。
靴や鞄なんかの問屋が70軒以上も集まる花川戸に、下駄、雪駄、草履、鼻緒など和装履物の問屋が集まり始めたのはB召和のはじめ頃。江戸時代には神田方面にそのテの問屋が集まっていたそうだけどね。隅田川の水運が便利だったのと、浅草には和服や和装小物を扱う店が多かったから、自然そうなったんだろうな。
今の若い人は生まれた時から靴が当たり前だろうけど、戦後も昭和20年代までは下駄や雪駄、草履が 般的だったからね。昭和30年代になって洋装化が始まって、お金持ちの子供から運動靴を履き始めた。あの頃はズック靴って呼んだかねぇ。オレはいいうちのお坊ちゃんみてえに格好はつけねえって強がったけど、初めて靴を買ってもらった時はやっぱり、晴れがましい気持ちがしたもんだ。花川戸の履物問屋でもサンダルやケミカルシューズを扱い始め、昭和40年代には靴全般へと移行して行ったのさ。
浅草でなく花川戸
まあそんなわけで、オレもガキの頃から靴問屋の光景は見慣れてたけど、何せ 相手は問屋さんだから。中には杉村春子や浅丘ルリ子がこ愛用の問屋さんもあるっていうけど、オレたち 般客にはあまり馴染みがなかったんだ。それを身近にしてくれたのが、昭和58年に始まった「花川戸はきだおれ市」。何でも当時、百貨店やスーパーで「浅草皮革大売出し」って言葉がよく使われてたのを、「浅草じゃなくって花川戸だ」って知らしめるために始めたらしい。お陰で花川戸の地名も広まったようだし、オレらも履物が3-5割引で買えるってんだから有難い話さ。
今年も12月13、14日に開かれるようだな。オレは毎年ここで新しい革靴、下駄からサンダルまで買い揃えるのが年末の楽しみでね。一年間お世話に成った履物には感謝しつつお別れをして、心機一転、新しい履物で新年を迎える。足元がきれいってのは気持ちがいいもんダァわ。
夫いけねえ、すっかり油を売っちまった。買い物が遅れるとか母にどやされる。そいじゃ、またな!
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