季刊誌

日本の扉 浅草 Vol.30

槐の会季刊誌30号

掲載内容 2013年夏号

代表的催事(3月~8月)
浅草周辺マップ
浅草槐の会・マップリスト(会員店詳細)
あの店この顔
浅草歳時
コラム他

コラム:浅草のことならオレに聞け!特別編

中村勘三郎丈、そして市川團十郎丈と相次いで名優がこの世を去った歌舞伎界。当会会員「文扇堂」当主荒井修氏はお二人と公私にわたり交流がありました。今回は荒井氏による特別寄稿です。

2月6日、團十郎の密葬は雪まじりの雨の中行われた。窓の壁際には花を贈った人々の名前が木札に書かれているが、その中に歌舞伎役者ばかりのコーナーがあった。
「歌舞伎界も二人の名前が無いだけでこんなに寂しくなっちゃうんだね」私の後ろの並んでいる山川静夫アナウンサーがいった。
「本当ですね」
「浅草は成田屋にも由縁があるからね」
「はい、暫の銅像などね」
その「暫の銅像」は大正8年に彫刻家・新海竹太郎作で建てられたが、昭和19年に第二次世界大戦の金属回収のため供出させられてしまった。再建を願っていた私と成田屋は、(團十郎襲名直前だったと思うので)昭和59年の2月頃、当時の浅草寺土地部長・大森先生の家を訪ね、建立願いを提出。
その年の11月初旬に「大晦日に成田屋を連れて来い」と云われた。
成田屋は大晦日には成田に行かなくてはならないので遅くなりますよと云うと「何時でも待つ」との事。
深夜3時、成田屋が浅草に到着した。約束通り待っていてくれた大森土地部長は、「成田屋さん、一山(いっさん)会議(注)の了承が取れましたよ。」とにこやかに云ってくれたのだった。

さて、もう一人、浅草にとって大恩人とも云うべき歌舞伎役者がいる。中村勘三郎だ。彼も昨年12月に急逝した。私は35年程の付き合いと思っているが、彼は「いや、40年にはなるでしょ」といつも云っていた。
彼は私より7歳年下であるが、歌舞伎に対する思い、考え方が常に一緒で、夢も同じであった。私たちの夢の話は深夜にも及び、いや朝にまでなった事もある。そんなある日。当時の勘九郎は「浅草公会堂じゃなく、江戸時代の芝居小屋で芝居がしたいんだよ」と目を輝かせながら語った。私にとっても兼ねてからの夢であり、私はワクワクした。
「でもいきなり小屋なんか造れないでしょ」
「そうだね、大変な事だよ」
「じゃあ、取り敢えずテントでもいいかな」
「勿論だよ。その方が良いよ」
「じゃあやろう!」という事になった。
2000年11月、第1回平成中村座は、そんな会話の中で産声をあげたのである。

(注)一山(いっさん)会議:ご住職たちがお寺の重要事項を決める会議

荒井修(あらい おさむ)
昭和23年浅草生まれ。荒井文扇堂4代目当主。日大芸術学部在学中より扇職人として修行。扇師として歌舞伎界、落語会に多くのご贔屓を持つ傍ら、浅草における江戸文化の継承に日々奔走した。(2016年没)

その他の記事はPDFにてご覧になれます。

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