掲載内容
代表的催事(3月~8月)
浅草周辺マップ
浅草エリアマップ(東西南北および中央部の5エリア)
浅草昔語(昭和28年7月の新仲見世通り)
浅草発・下町の歩き方
あの店この顔
コラム「江戸っ子の「食」歳時記あれこれ」
この浅草(このまち)のことならオレに聞け!
清潔で美しい町の秘密はエコにあり!
浅草槐の会・マップリスト(会員店詳細)
浅草年間歳時
コラム:この浅草(このまち)のことならオレに聞け!
どんなものも修理して大事に使った
今の日本みたいにモノにあふれていたわけじゃないが、それでも100万人以上もの人間がひしめきあっていた町だから、それなりにたくさんのモノがあった。それなのに、ゴミ問題がほとんど起きていないのが江戸の町だ。
まずは、無駄なものがあんまりなかったってのが理由の1つ。魚やら野菜やら、米や味噌といった食料品から、茶碗や雑貨に至るまで、生活に必要な品々を商う各種行商人が毎日家々に回ってきたから、買いだめをする必要なない。その日に必要なものだけ買うから無駄なゴミがでないわけ。
それから、どんなものでも大事に使った。衣服にしても、茶碗や傘なんかの道具にしても、破れたり壊れたりしたら専門の修理屋で修理して、使えなくなるまで使ったんだ。割れた茶碗ですら、ちゃあんとくっつけて直してくれる修理屋がいたんだ。ちょっと壊れたら、すぐ新しいのに買い替えるなんてことは江戸っ子は考えなかったのさ。
古着からウンチまで何でもリサイクル
それじゃあ、使えなくなったものはどうしたかって?とりあえず、まだ使えるものは、古着屋や小道具屋に売られて再利用する。そもそも江戸っ子がふだん着てたのはほとんどが古着だった。まっさらな新品を着ることができたのは、よほどの金持ちだけ。
それから、使えなくなったものは別の目的に再利用した。江戸の町には、いらなくなったものを買い取ってくれる商人がたくさんいたんだ。古着や古道具はもちろんのこと、流れ落ちたろうそくのカスを買い集めて新しいろうそくに再生する商人や、紙くずを集めて便所紙に漉き直して売る商人、はては便所の排泄物を買ってくれる商人なんてのもいた。排泄物は江戸近郊の農家が買って野菜の肥料にした。いよいよ使い道がなくなってどうしようもないゴミは、川に埋め立て、そこに屋敷地なんかを作ったのさ。
どんなものでも無駄なく、長く大事に使って、使わなくなったら別のものに利用したってわけだ。
最近エコロジーって言葉がよく聞かれるようになったが、もう200年以上も前から、江戸っ子たちはリサイクル活動に取り組んで、エコロジーな生活をしていたってわけだ。
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