講師:中村勘九郎丈(十八代目 中村勘三郎)
平成12年9月13日に行われた第二回セミナーでは、歌舞伎役者の中村勘九郎丈をゲスト講師に迎え、浅草観光連盟事務局長の荒井修氏と対談形式で行われました。勘九郎丈の芝居や浅草に対する思いなどのお話をお伺いしました。
【司会】
ご紹介いたします。中村勘九郎さんです。本日はようこそお越し頂きました。過去にも浅草パラダイスという形で、浅草をいろんな形で紹介して頂きましたが、今度(2000年)の11月(テント歌舞伎)の事も浅草の人間は、大変喜んでおります。今回、東京時代祭にも法界坊の衣装のまんま乱入するということで、観光連盟も大慌てで、時代通りの順番じゃなくて、一番前を手古舞が歩くんだけど、その前を歩いてもらおうと思っています。皆さんと一緒に歩き、そのまま楽屋入りしてもらおうとね。
【勘九郎】
うちのおやじも浅草で生まれ、浅草で育ってますが、昔から公会堂が嫌いでね。公会堂は芝居をやる所じゃないね。浅草はせっかく良い所なんだから、昔風の劇場が欲しいよね。
【司会】
何度もその話は出てて、出てはつぶれ、出てはつぶれています。あのテント歌舞伎の第一回を浅草でやろうという事になったその思いというのは、どのへんから?
【勘九郎】
猿若ですよ。浅草というのはやっぱり芝居町ですもの。芝居が合うでしょ。だから、絶対古くしておかなくちゃ困る。僕らは渋谷でもやってるけど、あれは、借り物。やっぱり浅草ですよ。のぼり旗も似合うし、大川はあるしね。この辺は、犬も歩けば芝居に当たるんだから。芝居だらけですよ。
【司会】
芝居に出てくる街、あるいは場所はいっぱいあるし、実は文庫の方で今書き直しているのがあって、浅草の地図の中に、例えば両国橋なんていうと四十七士の引きあげとかという、芝居と落語の由縁の場所を全部入れたものを作ってます。
【勘九郎】
そういうものを今度の江戸の芝居のパンフレットの中に入れたいの。例えば、お店の名前や場所をそこに入れてさ、帰り道、食べ歩きするとか。
【司会】
夜、芝居が終わったあと食事ができないといけないからね。この会員の中にも、時間延長してもよいというようなお店があるんですよ。芝居を見に来たお客さんをどうもてなそうかという話をみんなでしてるくらいですからね。とにかく天保十四年五月から中村座というのは猿若町で興行をやったわけですし、そういう意味でいうと中村座と浅草というつながりはものすごくいっぱいあり、例えば岡崎屋勘六ですが、勘定流の元祖ね。お家流書家だった人で、。これは当時の中村勘三郎に引き立てをされ、当時の春狂言で贔屓年々曽我というのを最初に書いて以来、中村座の文字ばっかりを書いていた。この人のお墓が、そこの田原町の清光(セイコウ)寺にあります。これも中村座ゆかりの人であり、やはり中村屋と浅草とは、ものすごく由縁があるよね。
【勘九郎】
昔の役者は士農工商の下で、住む所も決まってた。猿若町とか、おかみから定められていた。
【司会】
ちょっと離れた所に、やっぱりそういう芝居に関係した人たちが住む所がありますが、浅草というのは実に芝居にゆかりの多い所で、特に中村座とは付き合いが多い所だね。
【勘九郎】
今回も、(テント歌舞伎の上演を)1回こっきりにしたくないの。新しい演出も少しはしますけど、中村座が出来たのは、昔の演目がそのまんま出来る。朝8時からは迷惑だろうけど、日曜といえば浅草、土、日は忠臣蔵をやってるとか。次の日は、四谷怪談をやるとか、昔の中村座の形式ってのは、非常にのんびりしてるんですよね。
【司会】
昔は、朝の四時に幕があいたでしょ。朝四時というのは、「七つ」というのですが、四時頃に幕があいて一番最初に三番叟が出る。そして、二番目狂言になにかそれなりのものがあって、三番目にいきなり暫があったりしちゃうのね。
【勘九郎】
お客さんはどうしてるかというと、ずっと見てるお客さんなんかいやしません。通しの券を持っていて、芝居茶屋があるので、好きな時に飯を食う。昔の茶屋は二階三階があり、朝の四時から夕方五時までいれば二回は食べるわね。
【司会】
だってあれでしょ。芝居茶屋でもって、いいところのお嬢さんたちは着替えるという。
【勘九郎】
そうそう。
【司会】
着物を別に持って来て、着替えて、また続きを見るというんですからね。なかなか大したもんで、そりゃお金のかかり方もすごいんだろうけどね。
【勘九郎】
椎名林檎が嘉穂劇場でやったくらいで武道館とか言っちゃうけど、浅草公会堂とかでやるというのはおもしろくないんですよ。多目的ホールは駄目。サザンの桑田佳裕君も興味を持ってますよ。
【司会】
今回はね、場所がああいう場所なんで、お客さんが分かりやすいようにということで、のぼり旗を立てて、そののぼり旗をずっと伝わっていくと、その延長上に小屋に行けるというようにしようという企画をしているわけで、これも中村座の定引幕にしようということです。大概の歌舞伎の引き幕というのは緑と黒と茶だというふうに思ってる人が多いが、実は定引幕は、中村座が最初で、中村座は幕府の船を江戸へ持ってくる時に音頭をとるのに当時の勘三郎という人が、声が大きくてきれいだったということで、その音頭とりを船歌の音頭をとり、櫓調子をとるということで頼まれ、船のへ先に立って音頭をとって、そのご褒美に陣羽織と共に何かもらったんでしょ。これは船のおおい幕ですよね。それが白と黒の二色だったんです。白三黒二の割合だけど、そのままだと申し訳ないということで、遠慮してそこに柿を入れて白柿黒、白と柿茶と黒の定引幕を中村座が使用したんです。それは幕府から拝領したもんだから、市村座も遠慮して、白は遠慮するということになり、緑がその間に入ったんですね。なにしろ定引幕の元祖ですからね。ところで、今回の引き幕はどうするんですか。
【勘九郎】
もちろん白。
【司会】
そこで今回はのぼり旗も白と柿の二色で、真ん中の文字を黒で中村勘九郎さんとか入れてね、中村座一色にしたいと思っています。そう、それから、前からよく幕の内弁当の話がでますが、これはよく幕の内に役者さんたちが食べたという説があったけど、よく調べたらね、役者じゃないんですよね。
【勘九郎】
お客さん?
【司会】
いろいろ調べたら、約四、五センチで、円形または三角で、計一寸五分ばかりの厚さ五、六分の小さな握り飯で、ご飯を木型にはめて抜き、ごまをつけずに焼いたもの。これに、卵焼き、コンニャク、焼き豆腐、里いも、かまぼこ、干ぴょうなどの煮しめをそえ、一般客には十個位ささ折りに入れて出した。大茶屋では六寸ほどの重箱に入れて出した。上方では割子弁当といい、幕の内というのは江戸だけだったという。これが幕あいに食べたという説と、それから芝居を見ながら食べたという説とあるんですが。今回はどうなんですか。
【勘九郎】
もちろん見ながらですよ。
【司会】
そうこなくちゃ!実は、二十四日の金曜日の昼の部に、会のみんなで行くんですが、その時の弁当を当時と同じものができないものかといってんだけどね。芝居を楽しむというのは、ただ客席から見るだけじゃなくて。
【勘九郎】
そうなんです。今度の中村座の特色は、しゃれで作ったお大尽席。それよりもおもしろいのは、芝居の幕を引いた中にも席がある。役者の後ろと横顔しか見えない席で昔は吉野といったんです。江戸時代なら、その他もし切符が取れなくても舞台の上から見せた。これを羅漢と云ったんですね。
【司会】
それより、貴賓席に金らんの座布団だけじゃなくて金らんの羽織を用意しちゃう。実はその日にね、お大尽席を二席だけ頼んであるの。この会の会長に座らせようと思っているんだけどね。
【勘九郎】
今日、歌舞伎というと、鑑賞とか勉強になっているけど、昔はそうではなかった。今でもそういう歌舞伎があっていい。だけど、一方では、民衆のパワーというか、みんなで楽しんでもらいたい。お客さん同士も楽しんでもらいたい。ディズニーランドなんかによく好きで行くけど、ああいうところでは、みんなにこにこしてるじゃない。
【司会】
昔は、けんかものがあったりすると出てって止める人がいたりしてね。あるいは大騒ぎになってくると、舞台の上から「お静かにお静かに」なんていう人がいてね。今回は、宙乗りもあるんでしょ。
【勘九郎】
宙乗りもある。
【司会】
地上最低の宙乗り。
【勘九郎】
だって、落っこちたって死なないもの。少しは高く上がるけれど、地上すれすれでお客さんに逃げて頂こうかと。それから雨も降らせようと思っている。江戸時代でもめずらしい。黒子が出て来て、法界坊の上だけ雨が降ってるとか、歩くと一緒に雨もついてくるとか、そういう何か馬鹿馬鹿しさというか、おもしろさというか。脚本は江戸時代の一番古いものだけど、それの方が現代的なの。
【司会】
現代語みたいなしゃべり方だものね。アラーキーさんの法界坊という写真集が初日から売り出されるそうですね。その法界坊のポスターを浅草でなるべく多く貼りたいし、チラシも大量に来ることになってます。そういえば、撮影でこの人は、ジェットコースターに5回乗ったんですからね。
【勘九郎】
行きずりのおばあちゃんの財布を盗んでる法界坊や、鳩に豆やってる法界坊、バスを待ってる法界坊、キックボードに乗って墨田公園走る、仲見世でもやったなあ。あと、笑っちゃうのはお葬式の前を通る法界坊というのがあったね。それから行きずりのおじさんと挨拶をしている法界坊とか、ストリップを見ている法界坊。これ、やりたかったんだよ。
【司会】
もっとまずいのがあったじゃない(笑)。
【勘九郎】
巫女さんの緋袴をめくって、のぞいている法界坊。
【司会】
これは本当の浅草神社の三社様の巫女さんがちょうどそこへ来たので「ちょっと来て来て」と呼び、脇に立たせて並んでとって、次は法界坊だけしゃがんでスッとめくったところをパチッととったのがあってね(笑)。
【勘九郎】
その風景をフジテレビで流したら、この人(司会)の声が入ってたよ。
【司会】
しょうがねぇな。
【勘九郎】
でも法界坊ってのは、そういう人だね。でも、一つだけ私は次の日に謝りに行ったところがあるんですよ。私は、被宮様には毎年新年に必ず初詣でに行ってるんですよ。
【司会】
三社様の脇にある被宮稲荷ね。
【勘九郎】
そこで狛犬の上に乗っかってくれと言われて、法界坊の格好で乗り、次は被宮様の鳥居でぶらさがった。それで、次の日に謝りに行った。「昨日やったのは法界坊で、僕ではありません。僕は絶対しませんが・・・、申し訳ございませんでした」とね(笑)。まあ、こうして役者もいろんなことをやって楽しみ、それを見に来るお客さんもいろんな格好で来て欲しい。11月だから、浴衣ってことはないだろうけど、中村座へ来る為の何か思考を凝らしてね。
【司会】
昔、僕がまだ仲見世の青年部長だった時、夜の野外映画をやったのよ。その時に寝間着で来いという事で、「ネマキネマ」というタイトルにしたの。寝間着で来させるというのも結構おもしろかったけどね。それこそ役者も観客も町も、みんなで遊んじゃうという、そういう了見がほしいね。
【勘九郎】
フランスのアビリオンという町があるのですが、そこでは七月に演劇フェスティバルがあり、町全体が芝居小屋になる。例えば、文扇堂でも芝居が出来る。お客さん一人でも芝居をする。まるで占いだよ(笑)。だから、劇場なんていくらでもあるし、朝の9時から夜中の3時まで。ごみも芝居関係のものだけだし、観光客も楽しんでる。
【司会】
そういえば、船の乗り込みの話はどうなったの。
【勘九郎】
やりたいと思っています。
【司会】
お台場から船に乗って浅草まで隅田川を上がってこようという話があるんだけど。さて、皆さんの中で聞いてみたいこと、何かありますか。
【客】
近い将来、勘三郎という名前をという話は?それと、ハエの話を聞かせて下さい。
【勘九郎】
そんな話もチラホラ。うちのおやじが死んでお通夜の時、遺体の前で、森光子さんや団十郎さんとかみんなで麻雀をやっていたんですが、遺影が麻雀パイのところに倒れたの。ああ、やりたいんだって話したの。俺は、いるなと思ったね。それから、ハエが飛んだの。それから、何かというとハエが飛ぶんですよ。夢がかなって、鏡獅子をロンドンでやった時、初日の寒いロンドンでまたハエが飛んでね。子ども達が、「じじんちゃま、飛行機でいらしたんですか?」てね。うちのおふくろが死んだ時も、二匹飛んだし、仁左衛門の兄さんからこんな電話があったの。「あんたんとこのお父ちゃんのビデオ見て勉強してたら、ハエが飛んだんや。それで、ちょっと静かにしてやといったら止まったんや」とね。
【司会】
お父さんのお通夜の日、入っていったらいきなり大笑いされてね。
【勘九郎】
そうなんだよ。さみしいのから宴会を一週間くらいやって、みんなが遊んでくれてね。
【司会】
お焼香しようと思って中へ入っていったら、一斉に菊五郎さんとか仁左衛門さんとかに大笑いされた。雑談をしているのがマイクで外に流れてたんですね。
【勘九郎】
葬儀屋さんが、あんまり笑わないでくださいって言ったんだもの。
【司会】
僕が入ってく時に、あ、誰か遅くなって来たなというんで、しーんとかしこまった所に入って行ったんですが、僕の顔を見るなりみんなが安心したんです。そこで大笑いされてね。実は浅草寺の御開帳の時にだけ奥山風景という江戸村を作っているんですが、そこで使っている長屋がありましたでしょ。あれを全部ばらしてしまってあるんです。これをこの中村座の時に持って来て、中村座の正面の左方の所に建てて、お弁当だとかお土産だとかを販売するようにしようと思っています。今回の中村座の場合、テント歌舞伎とはいえ、表は昔の芝居小屋のように作りまので、絵看板があったりするので弁当などの売店も、五軒長屋にして、風情を出したいと思っています。是非とも第二回目もやってもらって、助六でもね。
【勘九郎】
助六もそうだけど、暫も。
【司会】
浅草という土地を選んでくれたことについても非常に嬉しいし、これから先、僕らが何をやっていかなければいけないのか、少しずつ見えてくるわけです。皆さんにご協力を願うことがいっぱい出てくるかなというふうに思ってます。
【客】
撮影のときのことを教えてください。
【勘九郎】
ビューホテルに泊まって、朝の七時半におりてって、ピンポンと鳴らしたら、エレベーターがガーと開いたら、親子連れが乗ってて、「あっ!」と。これは悪いことをしたなあと。
【司会】
そうだよね、あのロビーをあの格好でもって歩いてると、みんなが不思議そうな顔して振り向いてね。それが、こそこそっと歩いてんじゃなく、堂々と歩いてたでしょ。それでアラーキーさんが猫みたいなのついたシャツでね。不思議な集団だと。まあ、実は、今月も歌舞伎座の方でご出演中ということで、これからすぐ歌舞伎座へ行って道成寺から始まって、一番最後が大酔っ払いの役で魚屋惣五郎という芝居ですがね、これを見た人の話によると、それがただの酔っ払いじゃないと。あれはね、涙が出ると言っていました。私も楽迄には伺いたいと思います。そんなわけでご本人、大変お忙しいので長くお引き止め出来ないので、最後にみなさんで記念写真を撮って終わりにしたいと思います。