10月18日
浅草寺本堂にて
信徒の持参した献菊と、既に献菊された下供菊(げくうぎく)とを交換して、更に随時菊供養の加持法楽の観音経音誦のもとに終日営まれるもので、供華会(くうげえ)とも称し、明治30年10月11日(旧暦の9月9日に当たる)に創始されたもので発願者は当山貫主奥田貫昭大僧正でありました。謡曲「菊慈童」の故事は観音経の威神力を伝えようとする架空的物語でありますが謡曲「菊慈童」にあるように「此の妙文を(観音経の中のある部分四句)菊の葉に、置く滴り(したたり)や露の身の、不労不死の薬となって、900歳を送りぬを、汲む人も汲まざるも、延ぶるや千年(ちせ)なるらん」とあるように、菊の葉に観音経の四句の偈を記し、水に浮かべて飲むだけで800余年の寿を保ち、なお少年の如き容貌であったという故事から「重陽の宴」とか我国に伝わっては「菊の被綿(きせわた)」というめでたい行事も生まれております。この菊の出廻る10月18日の観音薩捶のご縁日を期して「菊供養」の定日としたのは昭和年以来の事であります。
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