詳細は浅草神社ホームページでご確認ください。
推古天皇御代36年(628年)3月18日浅草浦付近(宮戸川)で漁をしていた漁師檜前浜成(ひのくまはまなり)・竹成(たけなり)の兄弟の網に一体の小さな観音像がかかりました。その観音像を現在の駒形橋付近からあがられた観音像をとりあえず槐の木の切り株の上に安置しました。そのおり草庵<藜堂>(あかざどう)を作った十人の千束田圃の百姓衆が草庵の完成を祝って踊ったのが「びんざさら」の始まりと言われております。
「神事」びんざさら舞とは五穀豊穣を祈願して奉納する舞で、この舞は百姓の田楽舞としては大変上品で優雅な舞であり装束にも特徴があって、白と臙脂に染め分けられた縒糸を周りに深々と垂らし顔を覆い隠す「綾蘭笠」を冠り袴や金襴の衣装を纏います。この衣装を付けているときは身分を従四位の下に遇されていたとも伝えられます。三社祭奉納の「びんざさら舞」は五穀豊穣・悪霊退散を願って田楽舞(ささら舞)と子孫繁栄や害虫・悪疫消除祈願の獅子舞が舞われ、二つの舞が備わっている形は全国でも珍しいものとされています。
写真提供:あやめ連